1991年日本シリーズ、大会前日に父親を亡くした
3兄弟の末っ子、尾崎直道プロ。
ジャンボ、ジェットの兄が大会を欠場する中で、
賞金王になる可能性のあった直道プロだけが同大会に参戦した。
この脳の状態ははたして「ZONE脳」なんでしょうか?
直道プロにそのときのことを聞いてみました。
「あの時は、神がかりというか
”自分が自分でない”状態でしたね。」
初日71のスコアで15位。
地元徳島のお通夜に戻る。
実家からヘリコプターで会場に戻って、東京よみうりを
上空から眺めたときに、戦場に見えた!という
軍人でパイロットだったオヤジの気持ちが入ったのか
普段と違う雰囲気にコースが見えた。
睡眠時間は約2時間。
朝、実家からヘリコプターで、会場の東京よみうりGCに
トンボ帰り。
ノーボギー、7アンダーの65というその日のベストスコアで
首位に立つ。
2日目、首位に立って優勝を意識。
”オヤジの供養になるな”と。
ある意味、ゾーンに入りっぱなし。
ダメかなと思ったパットがいっぱい入ったし、
曲がって”OBか?”と思う球がキックをして戻ってきたり。
”あれ、どうしたんだろう。オヤジがついてくれてるのかなぁ”
という気になった。
3日目、66というベストスコアを叩きだし、
2位に3打差をつけてトップの座をキープ。
最終日は”勝たねばならない!”という気に。
”負けるときは死ぬ”と常々言っていた軍人のオヤジの言葉。
自分もそんな気になった。
自分が変わっていく感じがした。
オヤジが乗り移ったという感覚かも。
ゴルファーとしては、とにかく戦略など考えずに
”バーディ量産しよう。バーディルートを狙っていくだけ”
という感じだった。
ミスをしてもパーが拾えた。
結局、ゴルフはリズムが肝心。
小さな失敗でもリズムがなくなる。
その失敗というブレーキが一度もかからなかった。
”ここでバーディが取れたらのってくるな”
というところでバーディ、ボギー打ちそうでもパー。
容易にスコアが作れた。
脳的に考えると
「前へ前へ進む感覚。マイナス感覚が全く無い」状態。


「究極の”ZONE脳”は奇跡を起こす!」
ポチッと応援よろしくお願いしま〜す!

↓ ↓



Naomichi Joe OZAKI プロフィール
91年には、初めて賞金王の座についた。
99年には2度目の賞金王になるとともに『日本プロ』、『日本オープン』の
両メジャーで優勝。村上隆、青木功、中嶋常幸、尾崎将司に次ぐ
グランドスラマーにもなっている。
選手名 | ![]() |
所属先 | Sodick |
生年月日 | 1956年05月18日 |
出身地 | 徳島県 |
身長 | 174cm |
体重 | 76kg |
血液型 | B型 |
出身校 | 千葉日大一高校 |
趣味 | 映画鑑賞 |
ゴルフ歴 | 15歳〜 |
スポーツ歴 | 野球 |
得意クラブ | 全部 |
愛車 | |
アマチュア時代の戦歴 | |
ツアープレーヤー転向 | 1977年05月01日 |
ツアーデビュー戦 | 1977年--月--日 ミズノプロ新人 |
QT受験回数 | - |
師弟関係 | 林 由郎 兄弟関係:尾崎 将司 尾崎 健夫 |